『センスがいい』は育てるもの。私が意識している“見る力”

デザイン, 日常

「センスがいいですね」と周囲から言われることがあります。
でも、私はそれに少し戸惑うこともあるんです。
それは、センスが「感覚的なもの」「生まれつきのもの」と受け取られていることが多いからかもしれません。
決してそれは間違いではないのですが、
私自身、センスは「育てるもの」だと思っています。

特別な勉強や訓練、理論だけでなく、日常の中でどんなものを見て、それのどこに注目するのか。
その積み重ねが、自然と「選び取る力」や「伝わる形」を育てていく。
師匠である父からも「とにかく良いものを見ること」を教わり、
それを信じて私は日々、日常の中で「見ること」を意識しています。

レオナルド・ダ・ヴィンチは、
“人間の想像力はいかに働こうとも、自然の豊かさと複雑さを超えることはできない”
と語っています。
この言葉の通り、地球に存在している動物、植物、それらがつくり出すあらゆる自然の造形、
太陽がのぼり明るく鮮やかな光の時間と、陽が沈み星が輝き出し月が照らす夜の光の時間の景色の移り変わりと繰り返し。
これは人が設計しようとしても敵わない完璧なバランスがあります。
何気ない日常の中でこのような無限の「美しさ」に触れたとき、
「きれいだな」と心の底から感じて見つめる時間が、私にとってセンスを育てる時間です。
ただ感じるだけでなく、「なぜ美しく感じたのか」「何に心が動かされたのか」を少し立ち止まり丁寧に考える。
そうした小さな問いかけや確認作業の積み重ねで、自分の美の基準が育ってきたように思います。

センスは、単なるお洒落さや感覚的な華やかさのようなものではなく、
言葉よりも先に感じる「違和感」や「しっくりくる感覚」を見極める力のことだとも、私は思っています。

デザイナーという仕事にどう活きているか

デザインの現場では、目に見える情報だけでなく、言葉になっていない感情や空気感を汲み取ることも大切です。
たとえば、お客様が「なんかちょっと違う気がする」と感じているとき。
なかなか着地点が定まらないときもあります。
それが色なのか、余白なのか、言葉のトーンなのか…..
視覚情報だけでなく「その人がどんな思いでこれを伝えたいのか」という背景や、
受け手との関係性を想像する力も必要になってきます。
私はそれを、目で見る「視覚的な観察力」と、心を感じ取る「内側の観察力」の両方だと思っています。
そしてどちらも、日々どんなふうに人や景色に目を向けているかによって育つものです。

センスというのは、見た目のインパクトや洗練さだけではなくて、
その人らしさや思いを丁寧に受け止めたりして、「ちょうどいい着地点」を見つけ出す力でもある。
私はそんなふうに感じています。

センスは特別なものじゃない

センスは、特別な人だけが持っている才能ではないと思います。
むしろ誰でも、意識して、心を向けて、「良いものをみる」ことで育っていくもの。
デザインに限らず、日常の中でふと立ち止まり「なんかいいな」と思うものを見つめてみる。
それがあなた自身の“見る力”を育ててくれるかもしれません。



つい最近「なんか(すっげー)いいな」と思ったこと。
姪っ子としたイチゴ狩り。
イチゴの収穫ベストタイミングは「色と艶」あと「ヘタ」のそり返り具合らしいのだけど、
3歳の姪はそんな説明を理解せずとも、触れた時の手の感覚で
「なんかちゃらちゃらしてるー」と、
イチゴ表面の産毛の硬さを感じ取って選別してたこと。
しっかり実が成熟すると粒が表面に食い込んでいくので、
産毛の存在感が強いうちは実が膨らみ切っていないのかなと、妙に納得したんです。
産毛は新鮮な証拠でもあるけど、その場で食べるときチクチク気になる感じも確かにあるよなーと。
パックになってるイチゴからは学べない感覚を共有させてもらい、
静かにすっげー感動しました。

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